こんにちは、マキシムです。
さて、今回は私のプロフィール第2弾ということでお伝えさせていただきます。
第1弾をご覧になりたい方は、下記をご覧ください。
目次
マキシムのプロフィール:高校時代の学業
私は、地元の商業高校に入学しました。
部活動においては、前回お伝えさせていただいた通り、硬式テニス部に所属していました。
では、学業はどうか・・・。
ぶっちゃけ苦手です・・・。
「まぁそんなことだろうと思ったよ」いう声も聞こえてきそうですね。
正直何かがやりたいから商業高校に入ったというわけでもなく、ただ自宅から近いからという理由で高校を選びました。
そして、たまたま推薦入学のチャンスをいただけたこともあり、商業高校に行こうと思いました。
でも、しいて言うなら機械よりお金が少しだけ好きだったことが工業高校よりも、商業高校を選んだ理由かもしれません。。
幼少期から、両親が1年間貯めた小銭をいくらあるかを数えるのが好きで、数えたりしていました。
そういった経験から、お金に直結する勉強は商業高校だろうなぁと思って最終的には自分で決めました。
簿記の時間が週に11コマ
さて、商業高校に入った私は、簿記という科目に出会います。
簿記とは、家計簿の企業版といった位置づけになるかと思います。
高校一年目は、普通科目に加え、商業高校の専門科目がまんべんなくありました。
しかし、2年生になったときに、コースでクラス分けがされ、私は会計コースという簿記を中心に行うコースを選択しました。
理由は、なんとなく、就職に有利なのかな?と思ってのことでした。
そして2年生になった私は、簿記のコマ数に驚きました。
なんと!週に11コマもありました。多い日では、3コマ・・・。
もう簿記漬けの高校生活が始まりました。
毎日必ず簿記の授業がある・・・。
そんな環境のおかげもあり、高校2年生の時には、全商簿記総合1級、日創簿記2級を取得することができ、簿記に関して少し興味を持つことができました。
将来の会計の道に?
簿記に興味を持った私は、将来会計の仕事に就きたいと思うようになりました。
資格取得の本を読む中で、目指したいと思ったのは、「税理士」です。
手に職も付けられるし、会計に携わることを仕事にできると思い、憧れるようになりました。
税理士になるためにはどのような進路を選べばいいのだろうか?と考え調べていく中で、まずは経済大学に入り、受験資格を得ようと思いました。
そして、私は地元の岐阜の大学に進むことになりました。
マキシムのプロフィール:大学での挫折
大学に入学し、私は、続けてきたテニスは続けたいと思い、大学でサークルを探しました。
テニスサークルといえば、なんとなく「ザ・キャンパスライフ」という楽しいイメージもあったため、テニスサークルを探しました。
・・・テニスサークルがない。
そうなんです。
私の入学した大学ではテニスサークルがなく、テニス部しかありませんでした。
私は、テニスは続けたかったので、硬式テニス部に所属し、結果10年間テニス部に所属することとなりました。
大学で、しょっぱなに挫折を味わいました・・・。
そして、大学に入った目的の一つである会計の勉強ですが、大学の授業のオプションで、「大原簿記専門学校」の講師を大学に招いて授業を受けることができるというものがありました。
しかも、対象の勉強範囲は、日商簿記1級!!
すぐに私は、申し込みをして、受けることにしました。
しかし、
授業についていけない・・・。
日商簿記1級の出題範囲が広く、2級まではついていけた授業も1級では、授業についていけなくなり、心が折れて授業に出席しなくなっていきました。
そして、部活やアルバイト(マクドナルド)ばかりの生活が続くようになりました。
とは言え、大学の単位だけは、落とさないようにしていたため、無事大学4年生時では、ゼミのみを残して卒業単位は取得することができました。
マキシムのプロフィール:就職活動
大学4年生になり、就職活動を行うことになりました。
就職活動を行う中で、会計への未練が少しあり、経理職希望として就職活動を始めました。
しかし、会計関連の事務所の求人は人数が少なく、日商簿記2級程度では相手にされない。
企業の経理職も、ほとんどが求人がないという中で、大学の就職課の方に、ある言葉をもらいました。
営業職を目指すきっかけ
大学の就職課の方に言われた言葉は、
経理職はミスをしたら評価が減点される減点法だけど、営業職は、50%の成果もあれば120%、200%という評価もされる加点法の仕事なんだよ
その言葉を聞き、私は一気に営業職への希望を見出し、営業職希望で就職をすることになりました。
そして、運よく地元では名の知れた企業から内定をいただくことができ、就職活動を終えることができました。
マキシムのプロフィール:入社から現在
内定をいただいた会社(水栓メーカー)に営業職として入社し、半年間は工場で研修を受けることになりました。
工場での研修期間後、配属先として言い渡されたのは、
東京営業所!
と、東京!?
東京はテレビで見たり、遊びにいくところというイメージしかなく、自分が働いたり、住んだりするとは夢にも思っていませんでした。
しかし、勤務先は新宿区!
特番の警察密着24時などで、銃撃事件やいざこざが起きているというイメージしかなかったため、東京に行くことに関しては、楽しみ半分、不安半分でした。
(今思えば、そんなことが起きることはめったにないので、地方も都心部も変わりませんが・・・)
そして東京で初の一人暮らし&営業として東京生活がスタートしました。
転職そして、前職の倒産
東京で1年ほど営業職として働いたあと、私は現在働いている会社と出会い、転職を決意します。
そして人生初の転職をすることとなり、会社で借り上げていただいていたアパートも引っ越し。
当時は、地元でも名の知れた企業を辞めたということもあり、親も親戚に辞めたとは言えなかったそう。
しかし、数年たったあと、前職の会社が事実上の倒産をして、競合他社に吸収合併されたということ。
周りは、「辞めてよかったね」「先見の明がある」と言われましたが、人は現金ですよね。
そんなこんなで現在に至ります。
家族の話はまた今度!